知性を高める(創造的に生きる)

ちゃぶ台3「教育×地元」の内田先生の記事。『「しょんぼりと機嫌よく」、知性を高める』について。読んだ学んだことを残しておく。

「知性を高める」場や人間関係や生き方が、これからの生活・暮らしの作り方において重要。知性が高まるとは、イノベーション(創造的)になっている状態のこと。イノベーションとは、みんなが使っている物差しとは違う物差しがこの世には存在することに気付いた人がもたらすもの。

 同じ物差しを共有して競争関係になるのは、まったく創造的でない。互いが足を引っ張り合うような環境にあり、今の職場も概ねそういう環境だと感じるし、日本のまだまだ多くがそういう環境にあるだろう。

芭蕉が『奥の細道』に旅立つときはずいぶん機嫌がよかったんでないかと書いてあります。以下、引用。<さまざまなしがらみを捨てて、スポンサーを捨てて、斯界における名声も捨てて、ふらりと漂泊の旅に出る。これは気分いいですよ。でも、「あー、せいせいしたな!」ではないんですよ。いろいろなしがらみを絶って旅立つわけですから、芭蕉に見捨てられた人たちが背中を見送っているわけですから、それほどにこにこしているわけにはゆかない。ちょっとしょんぼりした感じの機嫌のよさです。僕の知る限りでは、どうも、これが一番知性の活性化には良いようです。>これは、広島・福山等に移住するにあたっては、避けては通れない場面だなと思った。でも、過去の賢人も自分よりも数百倍難しい艱難の中を経て、絶って旅立つ決心をして、今に続く名作が生まれていることは、私を勇気づける。芭蕉が当時、どんな心持ちで旅立ったのか興味深い。

 また、<周防大島が若者の地方移住が増えており、これは文明史的な最先端のトピックと述べられている。なぜ若者が都市を離れて、ここで野菜をつくったり、ジャムをつくったりしているか、本人に聞いても「なんとなく・・・」という答えしか返ってこないけど、その「なんとなく」の中に実は深い意味が含まれている。そこを深堀すれば、グローバル資本主義の終焉、定常経済の始まりという文明史的な転換の一つの徴候が周防大島に出現していることが読み取れる。小さいところからの光が、広々とした世界を照らすということがある。それを可能にするのは知性の働きだということです。>

 この文明史的な転換は同時多発的に起こると他でも内田先生は述べられている。御調町もその一つかもしれないし、自分としては”しょんぼりと機嫌よく”いることで、感性をフルスクリーニングして、暗黙知を活性化させるような「ぬか床」をかき回すような環境で生きることを見つけていきたい。