武道論(内田樹)からの学び ~ノイズが消える方向へ~

内田先生の武道論からの学びをここに残しておく。

「ノイズが消える方向へ」

武道では、「座を見る、機を見る」ことがたいせるである。「座を見る」というのは「適切な位置取りをする」ということ。「機を見る」というのは、「適切な頃合いを見計らう」ということ。ここでいう「適切」というのは、自他のわずかな移動で、それぞれのわずかな身動きによって、何が適切であるかは一変する。座も機も孤立した単独の主体にかかわることがらではない。それは主体と他者の関係のうちで生起する。

 カタストロフ的な状況に陥ったときに、(同期現象の)誘発者は際立つ。天変地異であれば、巨大な事故であれ、何が起きたかわからない、どうすればいいかもわからないという状況に陥ることが私たちの身には起きる。そういう場合でも「どうすればいいかわかる」人がいる。なぜか、そういう人は「こっちだ」と決然と進む道を示して自信をもって歩みだす。そういう人は、このあとわが身に危険が訪れるという予感がするとおそらくある種のノイズのようなものが感知されるのだと思う。彼らはどこに向かうのか?「ノイズが消える方向」に向かっているのだと思う。ある方向に向かうとノイズが相対的に小さくなる。耐え難さがいくぶん緩和される。たどるべき動線をたどるとノイズが消える。今このような文章を書いているときの実感でもある。書いているときでも、間違った方向に進むと、スクラッチノイズのようなものがする。何かが「ひっかかる」。正しい方向に進んでいるときは、そういうことは起きない。