なぜ?コモン(共同体)の再生

オムラジにて「人新生の資本論」を取り上げた対談(青木さん、光嶋さん、神吉さん、イシュマールさん)拝聴。3点ほど、そうかと今までの実感が上手に言葉に表現されていることがあった。

①「分散して生きていく」⇒此岸(年収)とは別の「ものさし・原理」

都市と地方移住について。地方に行くとしたら農業、農業はお金にならないという話になりやすい。地方で働くなら、公務員か病院か、お金の話で頓挫するのがしんどい。都市だったら年収=幸せみたいな価値観をもっている。都市から離れて、地方の田舎で暮らすとその価値観が分からなくなる。一旦そこから抜け出る経験も必要ではないだろうか?月のお給料では生活をイメージできない地方(田舎)。資本主義的な此岸とは別の彼岸の世界。サラリーマンでは測れない幸せがある。自分で(何かを)創るのが楽しい、そういうものが必要ではないだろうか。

<ピーマン>確かに、今の生活では自分も「年収=幸せ」という生活感で生きていた。みつぎを見て回って感じたのは、月の給料ではイメージできない生活、資本主義的な此岸とは別の彼岸の世界、自分で何かを創る楽しさのある生活と思う。その何かは、野菜やコメを作ること、自然の中で生きること、人新生の資本論に倣っていえば、自然や環境を回復させること。みつぎには、そういうことに価値を見だして有機農業を始めたりしている人が何人かいる。どこに住むかについては、その地域にどんな人と出会うか、相互支援のネットワークを創っていく上で、影響を与え合う人の人柄がとても大事。また、尾道には落ち着いた本屋や喫茶があって、知性が働く場もある。みつぎには、此岸(月給制)とは別のものさし・もう一つの原理・自分たち(まちの仲間)で何かを創る楽しさという世界を見つけられるのでないだろうか。

②働き方「誰のために働いている?」⇒個々のために働くのでなく、コモン(共同体)の再生のために

お金は最低限生活していく上では必要であるが、今の働き方はバイトか正社員か、バイトだと月10万前後か、正社員だと過労かみたいな生きる上での選択肢が狭まっており、今の社会自体が貧しくなっている。社会福祉法人でも、そこの職員が生活するために働いている?「誰のために働いているんだろう、、、?」となっているのが今の社会で働いている人の感覚でないだろうか。コモンの中心にお寺がある事は重要ではないだろうか。

<ぴーまん>「誰のために働いている?」「自分が生活するために働いている?」というふとした疑問は社会福祉の仕事をしていて、最近何回か、自分自身の胸の内を聞いてみると考えさせられていることである。障害のある人のために云々も悪いことではないが、大本として自分の生活(給料)のために働いているのは否定できない。自分の生活(給料)にならないのであれば、今の仕事には行っていない。ここには先ほどの此岸(年収)の価値観で働いている自分がいる。一方で、森田真生さんの言葉だったか「足元に心の降り立つ場をつくってそこから世界に繋がっていく」と言っていた。今もかろうじで「心の降り立つ場」は足元につくっている。ただ、堀内さんからも、まずは自分の生活・自分の安心が無けりゃ人助けもできないと言っていたが、その通りだと思う。社会福祉の仕事もよいが、自分の生活を営んでいく土台・足場を創っていきたいと思うようになってきた。これは、どこかにいる個々の障害者のために働いても、社会全体としては徒労に終わっていて、一つの生活圏・共同体として生き延びていく地域を生き生かされる実感を味わいながら生活していきたいと思うようになってきている?むしぱんと一緒に「足元に心の降り立つ場」「此岸(年収)とは別の彼岸」のような生活の場であることを探しているんだと思う。また、お寺から、自分の家をプチお寺にしたいと思ってたことを思い出した。

③経済的自立とその先には

就労支援は、障害のある人を資本主義社会の中に送り込んでいる仕事。本人からしたら経済的自立を達成できる。経済的自立を達成しないと家の中で過ごさざるをえない、そうすると家族の意向に従わざるをえない、ただでさえ自分の思いや考えをうまく発信できない中で。資本主義社会は経済的自立が達成できるという意味で、ある意味で平等を達成する一つの手段になっている。お金さえあれば平等に暮らせる資本主義社会。一方でそれに馴染まない、就職は苦手だけど、鹿を飼いならすのは得意とか、そのためには鹿の猟師の組合の維持が必要だとか、資本主義の社会とコモンの社会と両方を繋いでいくことが必要。

<ぴーまん>資本主義社会による経済的自立の重要性を改めて認識。確かに、経済的自立が大多数の人が達成されたから、家の呪縛から逃れられた、現代の個の生活がある。ただ、個は分断されているので、それぞれが個として生きることに悲鳴があがっている。そこを、現代版に繋ぎなおす、個で生きている人と人、生き延びていくための共同体を立ちあげる仕事が、今を生きる時代に求められている。