井上岳一氏 日本列島回復論①

井上岳一氏の日本列島回復論を読書中。7割ほど読み終わって、ここまでの所感をまとめておきたい。本著は田中角栄の「日本列島改造論」の対抗意識から書いたと述べられているように、日本(というか人類史も含めて)の歴史を丁寧になぞらえながら、現代の日本の「回復(リカバリー)」の視点から考察している。

キーワードとしてあがってくる事をいくつか取りまとめて、自分の理解を整理したい。「土建国家モデル」というのが、著者が自民党政治の戦後の高度経済成長を支えた政策と表現している。それは公共事業を通じた地方と低所得者層への再分配の方法。土建国家モデルの遺産として、インフラが相当整備された。全国津々浦々まで道路や通信網が整備された。しかし、経済成長の鈍化とともに公共事業費も減少を続け、2009年の民主党政権になって「コンクリートから人へ」を掲げ、公共事業依存を終焉させる。現在は、整備されたインフラが老朽化している現実がある。

次に、資本主義社会の成り立ちと、日本では「男はつらいよ」の寅さんの人間観をモチーフに、資本主義のシステムには取り込まれない人間関係、お金ではないつながりを持つことが資本主義から身を護ること、金の論理とは別の論理でつながる人間関係こそが、人が人として生きていくためには必要と述べる。

また、本書では「山水郷」という言葉で日本の太古からある自然を表現している。「国土の七割を占め、縄文時代から人が住み続けてきた山水郷は、日本という国を語る上で欠かせない存在です。」「国土を国の”身体”ととらえれば、日本という国の身体は大半が山水郷でできています。」というように。古代から中世にかけては山水郷が一等地であったこと。江戸時代にかけて3000万人の定常社会経済を支えるセーフティネットとして山水郷があり続けたこと。明治時代になって「富国強兵」で欧米に追い付け追い越せの挙国一致体制の下、産業革命も相まって、山水郷が産業化・都市化の資源として背景にあったこと。この近代において、今までは”生きる場”としての山水郷だったのが、”動員の場”としての山水郷になったこと。1960年代以降、石油によるエネルギー革命後、山水資源(石炭、木炭、水力)が使われなくなり始まれ、今では山水郷は人が離れ、野放し状態になっていると山水郷の歴史を紐解く。

また、二宮尊徳の「天道」と「人道」の考え方は人間の人為と自然とのバランス感覚をもった倫理観が紹介されており、日本人の自然観として、読んでいて懐かしさを覚えて興味深かった。

残りの章は「山水郷を目指す若者たち」で、これからの見られている動きが紹介されるだろう。わくわく。