生命ラジオ(5/13)感想(食べ物/物質に対する敬意/障害/モノの受け止めの精度)

生命ラジオ(5/13)の感想をまとめた送ったので、下記に記録としてとっておきたい。①食べ物の話、②物質に対する敬意、③障害について(モノの受け止めの精度)の話です。

おはようございます。

5月13日の生命ラジオアーカイブ拝聴させていただきました。

とても、内容の濃い興味深い話がたくさんあって学びが多くありました。

せっかくですので、ラジオを聞いて思ったことや考えたことをお送りさせていただければと思いメールさせていただきました。少し長文になってしまいましたが、お暇な時に一視聴者の感想として読んでいただければ嬉しいです。

 

①「食べ物は食べたものが自分の身体の一部になっている」という話を興味深く聞きました。今まで、食べ物については、あまり気にする事がなかったのですが、ここ最近、食べ物に関しては、どこでどのように作られたものが自分の身体に入っているのか気にするようになってきました。今年から近くの畑を借りて野菜つくりも始めています。今までサラリーマン的な「お金」のために働く毎日では気づくことのなかった世界が、野菜つくりをしたり、食べ物を気にしたりすることで、あるんだなと思いました。今日の話で、人生にはやりたい事とやりたくない事があるのでなく、大切な事とやりたい事があるだけなのだという話もありましたが、食べ物の事や身体の事は、自分にとっても大切な事だなと気づくことができたように思います。

 

 ②物質に対する“驚き・敬意”が自然科学を切り開く原動力という話に共感しました。自分が大学で物理学を専攻していたのですが、なぜ物理学を選んだのかと聞かれる時に、自分が小学生の時にオホーツク海の流氷を初めて見た時、圧倒的な自然を全身で感じて、身体の中をオホーツクの海・氷・風が吹き抜けたような体験が、自然に対して何か敬虔な気持ちになることを思い出しました。この圧倒的な地球・自然って何だろうという“驚き”や“敬意”が学びたい気持ちの原動力になってたのかなと思います。森田さんの話を聞いていると、自然科学を学べば学ぶほど、自然に対する驚きや敬意をより一層感じられるようになり、学生の時には感じることのできなかった不思議な思いで生命ラジオ拝聴しています。

 

③今、自分の仕事で障害のある人の行政から委託を受けた相談支援に関わっているのですが、「障害」についての話が聞けてとても興味深かったです。熊谷さんの自分なりのトイレの行き方の例を参考にしながら、リハビリについて「新しい現実に馴染ませていくこと」「自分たちの行動や言葉を組み立てなおしていくこと」という話を聞いて、私自身も含めて相談者と共に、「新しい現実に馴染ませていくこと」や「自分たちの行動や言葉を組みなおしていくこと」を日々の対話や関わりを通してやっているのかなと自分の仕事を振り返りました。また話の中で「世界を緻密にみる」「モノの受け止め方の精度を上げる」という話がありましたが、他者(相談者)の感じている現実世界を受け止めるときの精度を上げるというのは、お互いの心の余裕を保つためにとても大事なことだと思いました。ただ何となく支援の現場でも毎日を過ごしていると現実認識の精度が杜撰になってしまいがちなのを日々感じています。特に忙しさに追われてきたりすると、精度が杜撰になってくるのが自分でもわかり、心身ともに疲弊してきて、さらに精度が杜撰になるという悪循環に陥りがちです。生命ラジオでこういう話を聞いて、このような状態に自分がなってしまっているということに気づけたのはとても大きな学びになりました!これからも楽しみにしてます。

 

④最期に一つだけ。このリハビリの話の中で、「僕たちの心が世界をとらえるときに、悪というそのものがあるわけでなく、心の悲しみ・不公正などは、心のレベルでは本当にある。それを解きほぐすには、こころのレベルを生み出す手前のモノのレベルで世界を見るという事からこころを再構築していくことが、リハビリになるのでは」という興味深い話がありました。この「こころのレベルを生み出す手前のモノのレベルで世界を見るという事からこころを再構築していく」ということは、どういうことなのか興味があって、またどこかで取り上げていただけると嬉しいです。

 

以上、長々と失礼しました。

今週の生命ラジオも楽しみにしております!